歴史あるお寺さんなので、他所より多くあるかと思ったが死者を悼む石碑でした。
お寺さんだから、それが当たり前なのかもと納得させられました。
前回掲載の石碑も慰霊碑でした。
記録
明治29年 6月15日(旧5月5日)午後8時半
宮城県 死亡・三千三百十四人 家屋流出・千百八十四戸
岩手県 死亡・二万五千四百十三人 家屋流出・六千百五十六戸
青森県 死亡・三百四十六人 家屋流出・四百八十四戸
願主 北海道函館谷地頭町
速見辨 建立
となっています。長年風雨にさらされて願主のところは、読み取れなかったので間違いの部分もあるかと思います。
宮古出身の方なのでしょうか?
後でも触れる事が多くなると思いますが、この津波の時の記念碑は、朝日新聞社寄贈のものが、大部分ですので珍しい石碑と思います。