稲荷神社の下に昭和・チリ地震津波・東日本大震災の三つ記念碑がまとめられ ています。昭和・チリ地震の二つは以前は国道沿いにありました。
明治39年の津波の死者供養塔です。朝日新聞寄贈とは違うようです。
江山寺さんの檀家さん達が建立したのでしょうか?
強い地震と高台避難警告
昭和8年(1933)の大津波ー宮古町建立となっています。3月3日と言われております夜中の午前3時襲来。 この津波では、宮古はまだ町だったので現在の宮古市との被害の分母が違うので、数字だけ見るとかなり小さいようですが、現在のエリアでみたらもの凄い被害のようですが探しても、市の資料はそれまでは調べてはいないようです。
写真での紹介が多いです。 この記念碑は、元々から浄土ヶ浜に建立したのでしょうか?他所からの移築か? まだ、国定公園にも指定されていなかった。景勝地としては有名で、けっこう浜あそびに行っていたようですので、当初からあったのか?
こちらは、昭和35年の記念碑です。
下の写真は、田老の海岸です。 宮古では、石を積んで供養する風習が無いのですが、田老地区にはあるのかもしれませんません、見慣れないものですのでフラッシュバックが突然出てきて少しパニック状態に・・・・そう言えば、どっか他所の被災地でも見た、多分観光客の方が供養に積んだのだと、その時は思っていましたが、10年目で初めて見た。
コロナ発症の無い岩手県
街の中は、少し賑わいを取り戻しているかな?
大型店は、いろいろ店舗も客の側もお互いに気遣いしているようで、煩わしい不便さにも大分慣れてきたようで、駐車場には依然並みに車が並んでいるようです。
逆に、コンビニが客離れみたいな感じに見てとれます。
宿泊施設、観光地は開店休業状態です。
慰霊碑記事も、気が落ち着かずでおります。
今日は、ゆったり画像を二つアップします。
雪と桜の同じ、お地蔵様です。
誰にも、忘れられた感があります。
雪に埋もれたお地蔵さん
歴史あるお寺さんなので、他所より多くあるかと思ったが死者を悼む石碑でした。
お寺さんだから、それが当たり前なのかもと納得させられました。
前回掲載の石碑も慰霊碑でした。
記録
明治29年 6月15日(旧5月5日)午後8時半
宮城県 死亡・三千三百十四人 家屋流出・千百八十四戸
岩手県 死亡・二万五千四百十三人 家屋流出・六千百五十六戸
青森県 死亡・三百四十六人 家屋流出・四百八十四戸
願主 北海道函館谷地頭町
速見辨 建立
となっています。長年風雨にさらされて願主のところは、読み取れなかったので間違いの部分もあるかと思います。
宮古出身の方なのでしょうか?
後でも触れる事が多くなると思いますが、この津波の時の記念碑は、朝日新聞社寄贈のものが、大部分ですので珍しい石碑と思います。
お寺さんとは別に建立されております。
記念碑と慰霊碑がありますが、どちらが感覚的にピタリときますか?
こちらのは、供養塔です。