港町・宮古・津波慰霊碑・徒然なる想い

もう一度見直して見たい10年目のさまざまな慰霊碑

無題

明日は3・11追悼の日。

コロナの影響で大きな追悼式はなさそうです。

今日は、もう一つの大きな出来事があるのにどこでも取り上げずです。

平和ボケと言われてもしようが無いですね。

絶対に忘れてはいけない事だと思いますがね。

3月10日と打ち込んでもトップに出て来ない、日本はどうなるのだろう?

戦後76年だと思います。

黙祷!!

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少し見ずらいです

 

保育園児童の犠牲者碑へのお参り

常安寺保育園の年長さんなのか、犠牲者の子供たちだけか分かりませんが、冬休み前の慰霊碑へのお参りです。

園長先生のお話や保育士の方による、被災のお話があったようでした。

もうすぐ11年目にはいります。

父兄の方も一緒に手を合わせておりました。

夜になるまで御灯明が灯っておりました。

 

 

 

田野畑村・羅賀の津波記念公園 NO1

昭和八年三月三日午前二時三十分ニ動揺スル強震アリ、續いて三時頃ヨリ大音響ト共に津波アリ波浪の高さ約ニ米 本村の消失戸数百二十三戸倒壊四戸溺死者百三名 此記念碑ハ東京朝日新聞社愛讀者ヨリ寄託ノ儀損金ヲ同社カ 羅災(この字は違うかも?)町村ヘ配分セシ残保ヲ重ネ分配セラレタルヲ以テ建設シタルモノ也 

紀元二千五百九十四年 昭和九年三月建立

下閉伊郡田野畑村長 畠山貞竹誌

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明治35年・昭和8年・2011年と三つの慰霊碑が並んでいます。

 

田野畑村・島越津波慰霊碑三体

3・11の津波に遭わなかった高台の墓地の中にあります。  

明治35年と昭和8年の慰霊碑が並んでいます。かなり大きな字で刻まれておりますが凄く読みにくく、画像ではますます読めません。

どちらも、津波では無く大海嘯と刻まれています。ここでも明治の碑は朝日新聞の読者の儀損金を自治体に渡しその残りで建立したものですので、3・11の慰霊碑と比べると素朴な石碑です。

こちらのは、3・11の豪華な公園になっている石碑です。

上の碑とは、全然違う場所です。諸に津波の被害に遭った場所です。

後ろに新しい頑丈な堤防が出来ています。

岩泉・小本の碑

3個の碑があり、向かって右から第2次大戦の犠牲者の慰霊碑(南太平洋での犠牲者が大部分です)

真ん中が昭和大海嘯の碑で左端しが明治の大海嘯の慰霊碑

小本港の記名のあるテトラポット。ボランティアの人か、助かった人の寄せ書きかは不明です。

 

藤原・観音堂

ここ藤原は、いろんな意味で宮古で一番災害にあった場所かもしれない。

終戦間際、アメリカの艦砲射撃、艦載機グラマンの機銃掃射。アイオン台風そして

津波は明治・昭和・平成とその度に諸に被害を被っている。

アイオン台風の碑があるのは珍しいことです。

 下は明治三陸大海嘯の慰霊碑です。

明治二十九年 旧五月五日 建立

氏名・竹原勝松 七十 田老死  岩松由松 六十一 

   佐々木勇 二十八久慈死  佐々木政吉 二十五

  佐々木まつ 十五 川代死 赤沼吉右衛門 二十二小浜港死

  田代松枝  二十五   山内岩松  二十五

  施主・藤原若者中 常安寺廿世法運低

ここには、日本初の近代海戦で亡くなった幕軍の無名戦士の合同墓碑もあります