港町・宮古・津波慰霊碑・徒然なる想い

もう一度見直して見たい10年目のさまざまな慰霊碑

藤原・観音堂

ここ藤原は、いろんな意味で宮古で一番災害にあった場所かもしれない。

終戦間際、アメリカの艦砲射撃、艦載機グラマンの機銃掃射。アイオン台風そして

津波は明治・昭和・平成とその度に諸に被害を被っている。

アイオン台風の碑があるのは珍しいことです。

 下は明治三陸大海嘯の慰霊碑です。

明治二十九年 旧五月五日 建立

氏名・竹原勝松 七十 田老死  岩松由松 六十一 

   佐々木勇 二十八久慈死  佐々木政吉 二十五

  佐々木まつ 十五 川代死 赤沼吉右衛門 二十二小浜港死

  田代松枝  二十五   山内岩松  二十五

  施主・藤原若者中 常安寺廿世法運低

ここには、日本初の近代海戦で亡くなった幕軍の無名戦士の合同墓碑もあります